2008年03月21日

紀子の食卓。

園子温 『紀子の食卓』(2005) ★5.4

『うつしみ』や『ハザード』の園子温監督が「家族の再生」をテーマに描いたドラマ。主演が吹石一恵。僕は観てないんですが、劇中で『自殺サークル』のシーンが何回か出てきて『紀子〜』もあの世界、テーマと地続きにある構成になっています。これは僕のあまり得意ではない「生き直し」系ど真ん中っていう感じの話で、まあ簡単にあらすじを説明すると、自分のことを全く理解してくれない家族を捨てて家出をした紀子(17歳)は、一人で東京に出てくるんだけど、頼るツテもないからネットの掲示板で知り合った「上野駅54」という人物に「会えませんか?」と尋ねると「じゃあ上野駅に11時」っていうことになって、紀子は上野駅54=クミコ(つぐみ)に出会う。で、クミコはレンタル家族っていう仕事をしてて、つまり出張イメクラみたいなお客さんの注文でいろいろな疑似家族を演じるというモノで紀子もそこのメンバーに入れてもらい「ミツコ」と名乗って別人を楽しんでいる。でも、最終的に娘の居所を突き止めた父親(光石研)がそのレンタル家族を頼んで再びかつてと同じように実の娘と食卓を囲むんだけど‥‥。
僕が観ながら思ったのは、なんか遅れてやってきたケータイ小説みたいな話だなーっていうことで、出てくる設定とかエピソードがどれもなんか安っぽいっていうか嘘臭いんですよね。「コインロッカーで生まれた赤ちゃん」とか「ネット上の自殺クラブの存在」とか「レンタル疑似家族」とか、一つ一つの設定がなんか鼻白む感じというか、どこぞのゴシップ誌にわんさか書いてありそうなネタというか。で、そのクセに言わんとしてることは随分スケールの大きな誇大妄想的なことで(世界の成り立ち云々とか)、瞳孔開きまくって意味分かんないことを口走り始めた人間を前にして「はあ‥」としか言えないような、そんな感じな訳です。こういう所は、塚本晋也なんかとすごく似ている気がする。そこには、典型的なルサンチマンと安いハッタリしかないっていうか「なんだか、相変わらず大げさだなあ」みたいな。これだったらドグマ95でラース・フォン・トリアーとかトマス・ヴィンターベアとかがもうすでにやってたじゃんって思うし、彼らの方がずっと上手かったような(まあ、あれも大げさなハッタリをもっともらしく観せるのが上手かったっていうことなんだろうけど)。でも、紀子の妹ユカ役の吉高由里子ちゃんは良かった気がする。特に、なんてことない表情とか。でも、そこに執拗なまでにナレーションが被さってくるのが何ともいただけない。



予告。↓

ラベル:邦画
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2008年03月15日

TSOTSI。

ギャビン・フッド 『ツォツィ』(2005) ★8.9

2005年のアカデミー外国語映画賞を受賞した、南アフリカのスラム街で暮らす青年ツォツィの成長を描いたドラマ。ヨハネスブルグの旧黒人移住区ソウェトのスラム街で、「不良」を意味する「ツォツィ」と名乗る青年は、いつも数人の仲間と街をうろついては金を持ってそうなヤツを襲い、それで生計を立ててるストリート・ギャング。でも、そのやり過ぎな手口に嫌気の差した仲間の一人とツォツィは喧嘩になり、そいつをしこたまぶん殴ってムシャクシャしたそのままの気分で一人、ある女性の車を強奪するんだけど、不意に後部座席から赤ん坊の泣き声が聞こえてきて、ツォツィは焦って車をぶつけてしまう。急いで金品だけ取って逃げようとするんだけど、なぜだか放っておけないという思いに駆られ、ツォツィは赤ん坊を抱き上げて自分のアパートへ連れて帰る。
要約しちゃうと、不良少年が赤ん坊と暮らすことで人間味を取り戻していくっていうだけの話なんだけど、僕はもうなんかメチャクチャ泣けました。赤ん坊の世話に手を焼いて、近所の同い年ぐらいの赤ん坊がいる女を脅してお乳をあげるよう言うシーンがあるんだけど、そこで「この子なんていう名前なの?」って聞かれて、ツォツィは自分の本名である「デヴィッド」と応えるんだけど、つまり赤ん坊はツォツィにとって、かつての汚れを知らない頃の自分な訳です。だから放っておけない。でも、そういった対象が目の前にあるからこそ「じゃあ、何で今の自分はこんな風なんだ」っていう苛立ちが強まっていく。劇中で、手作りのボロボロの車椅子に乗ってる浮浪者のジイさんが出てくるんだけど、ツォツィはそのジイさんの後を付いていって、人気のない場所で銃を突き付ける。ジイさんは当然お金が欲しいんだと思って「これを持ってけ」って缶に入った小銭をツォツィに示すんだけど、ツォツィはそれには目もくれずジイさんに「何でそんな犬みたいになってまで、生き続けようと思うんだ?」って尋ねるんですね、銃を突きつけながら。このシーンがすごくいい。地を這うように生きている無学な不良の言葉にならないモヤモヤとした焦燥感とか苛立ちとか不安とかが、一つ一つの動作に滲み出ていてグッとくる。今のやり方が間違ってるのは分かってるんだけど、でも他の方法が分からなくて、とりあえず目の前の人間に銃を突きつけることしか出来ないっていう。ううー、泣ける。



予告。↓

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2008年03月14日

Black Book。

ポール・ヴァーホーヴェン 『ブラックブック』(2006) ★9.3

『スターシップ・トゥルーパーズ』のポール・ヴァーホーヴェン監督が、故郷のオランダに帰って作り上げた戦争大作。1944年、ナチス占領下のオランダで、国外へ脱出する最中にドイツ兵によって家族を皆殺しにされたユダヤ人女性・ラヘルは奇跡的にレジスタンスに匿われて復讐を誓い、エリス・デ・フリースと名乗ってナチスの将校・ムンツェに近付いていく‥‥。我が身可愛さに嘘をついたり、富や名声の為に仲間を裏切ったり、殺したい相手とダンスを踊ったり、ここでは誰もが誰かを欺いているような無情な世界が描かれていて、ヴァーホーヴェンの極めて冷徹な人間観が窺えます。その視線は、他の多くのナチスを描いた戦争映画とは異なっていて、彼らを絶対的な「悪」にして「怖いね」っていうところで終わらせるんじゃなくて、「ナチス」的なものがどこにでも誰にでも宿っているっていうことを言わんとしていて、その意味で『M』や『死刑執行人もまた死す』などでフリッツ・ラングが示した残酷さにスゴくよく似ている。ヴァーホーヴェンも今作で戦争終結後をしっかりと描いていて、そこでは元ナチスの軍人がかつてのユダヤ人のように扱われて、民衆の前で裸にされ、弾劾させられる。敗戦が濃厚になってきて、その後の自分の境遇に怯えるナチス将校の姿なんて、僕はこれまで観たことなかったし、それゆえにこの無情の世界に終わりはないっていうリアリズムが否が応にでも突きつけられて正直ヘコむんだけど、でも同時に、暴露した所で誰も歓迎してくれないであろうそういった現実を見せ続けるヴァーホーヴェンのハードコアな意志に感動します。あと、主演のカリス・ファン・ハウテンがめちゃくちゃイイです。



予告。↓

posted by ケニー at 04:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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