2008年05月20日

Million Dollar Baby。

クリント・イーストウッド 『ミリオンダラー・ベイビー』(2004) ☆9.5

2004年のアカデミー賞で、作品賞、主演女優賞(ヒラリー・スワンク)、助演男優賞(モーガン・フリーマン)、監督賞と四部門に輝いたクリント・イーストウッドの傑作。脚本が『クラッシュ』のポール・ハギス。今更ですがやっと観ました。評判通り、ヤバかった。

イーストウッド演じるフランキーはボクシングジムを経営している老トレーナーで己のボクシング理念を信じて止まず、選手たちにも厳しい要求を課すビッグ・ブラザー。しかし、ある日その方針に付いていけずに世界戦を目の前にした一番の有望株ビッグ・ウィリーが大手のジムへと移籍してしまう。失意に沈むフランキーだったが、そんな彼の元へマギーと名乗る女性(ヒラリー・スワンク)がぜひ自分のトレーナーになってほしいと頼み込んでくる。マギーは31歳の独身女性で13歳の頃からずっとウェイトレスをして生計を立てている身の上。ボクシングをやっている時が自分にとって何よりも楽しい瞬間なのだと彼女は語り、最初は「女はダメだ、帰れ」と拒否していたフランキーも次第に彼女の努力を認めてボクシングを教えることに。独学で練習してきただけのマギーは、フランキーの教えによって飛躍的にその才能を伸ばしていき、連勝に連勝を重ねる。そして、ついにマギーはタイトル戦の舞台に立つことになるのだが‥‥。

(*ここからはネタバレします)途中までは『ロッキー』のようなサクセス・ストーリーでマギーがその努力によってどんどん強くなっていくっていう流れなんだけど、後半の展開は圧倒的に厳しくて重いです。もはや努力などではどうにもならないような場所に突き落とされるっていうか、誰も何も出来ずに嘆くしかないようなそんな所です。マギーにはテキサスかどこかの田舎に家族がいて、毎月ファイトマネーから仕送りを送っているんだけど、その当の母親たちはその金を平気で受け取りながらも、ボクシングという職業を選んだマギーを一家の恥だと笑っている。だからマギーにはホントにボクシングしか残されていないんだけど、タイトルを賭けた試合中、不慮の事故によってマギーはボクシングを続けられない体になる。具体的には、頸椎の損傷で首から下は一切動かせない全身麻痺状態です。あまりにも‥‥な展開に言葉もなくて、ただ目の前の酷く辛い現実に僕はちょっと放心してました。「死んだ」ではなく「死んだも同然」っていうのがおそらく最大に悲劇で、イーストウッドとポール・ハギスの意図したところなんではないかと思いました。

ボクシングが唯一の生き甲斐だったマギーは自ずと死ぬことを考えるようになって、フランキーに殺してほしいと頼むんだけど断られ、自分で舌を噛み切ります。なんとか一命を取りとめて鎮静剤を打たれたマギーの表情には、なんていうかあらゆる屈辱が滲んでるかのように苦しそうで、ホントに彼女の人生は何だったんだろうかと思われて仕方がない。ラストでフランキーは彼女の願いを受け入れて人工呼吸器を外すんだけど、この時の二人の間に交わされるやりとりが本当に素晴らしく、観てて苦しい。これを観るとポール・ハギスはホントに今最も才能に富んだ脚本家だと思います。フランキーはずっとはぐらかしていたある言葉をその時マギーに伝えるんだけど、それを受けた後のマギーの笑顔がこれから死ぬ人間とは思えないほど輝いてて非常に美しいです。最後にようやく、今まで生きてきたことの証を手に出来たっていうか、全てが浄化されたようなそんな笑顔。こういった瞬間はいくら映画を観ててもそうそうないと思う。必見ですよ、これは。

ポール・ハギスの新作『告発のとき』もすごく楽しみ。



予告。↓

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2008年05月19日

No.7。

ポール・マクギガン 『ラッキーナンバー7』(2006) ☆6.1

『ギャングスター・ナンバー1』のポール・マクギガン監督による犯罪サスペンス。主演がジョシュ・ハートネット、共演にルーシー・リュー、ブルース・ウィリス、モーガン・フリーマンとなかなか豪華です。

主人公の青年スレヴン(ジョシュ・ハートネット)は仕事をクビになったり、チンピラにからまれて財布を盗られたりと運のない日々を送っていて、思い立って友人のニックを頼って彼のマンションを訪れるんだけど、彼は不在。しかし玄関には鍵が掛かってない。とりあえず、スレヴンは彼の部屋に上がってのんびりしてたら、隣人だというリンジー(ルーシー・リュー)が訪ねてきて、好奇心旺盛な彼女はこれは何かの事件だわと言い出し、二人で捜査しようっていうことになるんだけど、その途上、スレヴンはいきなりギャングに拉致されてしまう。「ボス」(モーガン・フリーマン)と名乗る男の前に連れてこられるスレヴン。事情を聞くと友人ニックはすごい借金をしていて自分は人違いで拉致られたのだと気付くんだけど、そんな言い訳は通用せず、ある人物を殺してくれたらチャラにしてやるとボスから持ち掛けられる。で、そのターゲットっていうのが対立している組織の親分「ラビ」の息子で、スレヴンはその取引を拒否できる訳もなく、殺人の依頼を承諾するのだが、話は予想外の展開に‥‥。

一応、犯罪アクションなんで人が撃たれたりするんだけど、なんかスティーヴン・セガール並に緊張感がないっていうのが第一印象。ストーリーが二転三転し、ラストにどんでん返しも用意されてるようなスパイ小説じみた話だからなのか、どことなく書き割り的なキャラや設定にノレない。対立するギャング同士のビルが大通りを挟んで向かいに建ってて、窓からお互いの親分が相手を睨んでいるとか、主人公のスレヴンはそのどっちからも雇われちゃって困ってしまうとか、なんか『フェイス/オフ』とか『インファナル・アフェア』とかのああいった大味で分かりやすい香港ノワールな対立構造に似てます。スポーツ的というか盤上の駒を動かしてるだけっていうか。劇中で「007」の話を主人公たちがするところがあっておそらくイメージとしてはそういうアクション・サスペンスにしたいんだと思うんだけど、いかんせん安っぽいんですよね。上述したようにラストにどんでん返しがあって今までの何となくのんびりした感じはこっから一気にシリアスになるんで、それを考えると中盤ののんびり感はおそらく意図的にやってるんだろうけれど、単純に観ててダルいなあ。モーガン・フリーマンがギャングの親玉やってんのに全然怖くないっていうのも何のためのフリーマン起用なのか。ラストもまあ『L.A.コンフィデンシャル』な感じで特になんの感慨もありません。お疲れさまでした。



予告。↓


posted by ケニー at 10:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月18日

EXTE‥‥。

園子温 『エクステ』(2007) ☆3.8

何ていうか非常に辛口な点数で申し訳ないですが、こりゃダメだあ。園子温作品はしばらくちょっと遠慮したくなってきたなあ。『紀子の食卓』とか『夢の中へ』とかもダメだったし。ま、とりあえず簡単にあらすじを。
主人公の優子(栗山千明)は美容師の卵で、一方、それとは関係ないけど山崎(大杉蓮)っていう遺体安置所の管理人みたいなヤツがいて、このオヤジは女性の髪の毛が大好きな変態で持ち込まれた遺体の髪の毛を切り取って保管したりしてるキチガイなんですね。それで、ある日運び込まれた遺体の髪の毛にえらく感動して、山崎は遺体ごと盗んで自分の住処に持ち帰る。すると、悲惨な死を迎えた遺体の怨念からか死んでるにもかかわらずそいつの髪の毛が伸び始めて、山崎は狂喜乱舞。その美しい黒髪をカットして街の美容室にエクステとして売り歩く山崎。しかし、そのエクステを着けた人間が次々に怪死していき、そんな中ついに優子の美容室にもそのエクステを持った山崎が訪れる‥‥っていうか、優子の髪が奇麗過ぎてストーカー山崎が美容室にやってくる、と。
まあ、ストーリーとかどうでも良くて、とにもかくにも、大杉蓮が演じる髪フェチの奇行ぶりには全く全然これっぽっちも感情移入できなくて終始苦痛でしかない。もしかしたらこれはコメディなんじゃないかとも思うんだけど(大いにあり得る)、それにしたってちっとも笑えない。何なんですかね?コレは?星条旗柄の服着て、長髪のカツラ被って、ノッポさんの帽子みたいの頭にのっけて髪の毛に頬ずりしながら「素晴らしい!うひゃー!」って、まるっきりこれじゃ単にバカな人でしょ。大杉蓮の怪演が話題に、みたいなこと言われてるけど、怪演っていうか適当なノリでなんとなく変な人を演じてるだけじゃないですか?園子温監督は少しでも「変態」に対してのこだわりとかあるんですかね。変な格好して変なテンションだったら=変態って、あんまり変態バカにすんなよっていう感じ(別に僕が変態を代表する訳ではないですが)。おそらく人物造形としては『悪魔のいけにえ』の冒頭でヒッチハイクして車に乗ってくる情緒不安定な変態一家の長男(次男?)みたいなイメージだと思うんだけど、大杉蓮は全くその域に達していなくてまるっきり安っぽい大道芸人な有様。「いい年こいてバカだな、コイツ」って観てる間シラケまくりでした。大杉蓮がいかにも楽しそうにノリノリで演じてるのも嫌だし、カットが掛かった瞬間、きっと監督は爆笑しながら「大杉ちゃん、サイコー!」とか言ってんでしょ。あー嫌だ嫌だ。園子温はどんどんダメになってく。『時効警察』とかやってる場合じゃないよ。ここ最近「映画はメチャクチャでデタラメなモノだ、それでいいんだ」っていうなんかの反動なのか?みたいな思想がまかり通ってるけど、そういうことを作り手が作る前に思っちゃった段階でもうダメでしょ。それ単に免罪符だもん。監督がそう思ってんのかどうか知らんけど、僕にはいかにもそう見えます。突発的なアイデアでその場でウケればいいみたいな内輪ノリっていうか。栗山千明はかわいそうだなあ、おっさんたちの道楽に付き合わされて。



予告。↓


ラベル:邦画 ホラー
posted by ケニー at 03:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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