2008年08月23日

リアルのゆくえ。

『リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるのか』 大塚英志+東浩紀 ☆8.3

大塚英志と東浩紀という新旧おたく/オタク評論家の計四回(2001年〜2008年)に渡って繰り広げられたガチ対談を収録した対談集@講談社現代新書です。

「ガチ」というのは誇張ではなく、途中のほとんど禅問答に近いやり取りにハラハラしますが、その甲斐あってかお互いの言い分は良く分かる。あまり簡単にするのもどうかと思うんで気になった人は実際読んでもらえればと思うんだけど、とりあえず互いの主張を僕なりに纏めると、東浩紀が「もう近代的なモラルとか常識とかそういった人間観には期待できないから、それを補完する為のシステムを構築して小さなコミュニティの中でそれぞれが暮らしていくべきではないか」という一方で、大塚英志は「そういった人間観に代表される公共性の在り方を諦めてしまったら、そもそも批評家として物を書く意義もなくなるし、それを取り戻すことが心底難しいとしても努力目標として絶えまぬ啓蒙を続けるべきではないのか」という感じの主張で、両著者のファンである僕としては非常にどちらの意見もその通りだな〜と首肯出来るんだけど、現実問題どうするかというとすごく難しい。

以前、クイック・ジャパンで小林よしのりと森達也の対談を読んだ時に感じたことと似てるんだけど、要は「人間を信じるのか?信じないのか?」っていうところで分かれる気がする。で、正直言えば僕も今や人間は信じられないと心情的には思っていて、街中を歩いていて一人言を喋っている人とか最近よく見ますが、やっぱりちょっと怖い訳です(かなり卑近な例でアレですが)。でも、そこで怖いから関わりたくないっていう心理が、そもそも全く普通の人々をも脅威的な怪物に見せてしまうという場合もあって、じゃあ一見怖いと感じてもすぐに結論を下さないでなるべく共生しようとすると実際にそいつが怪物みたいなヤツでマジで殺されちゃうということも起きたりし‥‥う〜ん、どうしたもんでしょうね?っていう感じになる。

だから、東浩紀的な未来予想図だとリアルmixiみたいな小さな共同体が林立する社会になるだろうっていうことで、それは確かに心情的にも分かるけれども第四章で秋葉原の事件を受けて東氏本人も言っているように個人の実存をmixiは保証する訳じゃないので、結局その安定が脅かされないという保証は出来なくて、故にシステムが構築された後も自分の実存の問題はまた別に自己解決するしかなくて、そう考えるとやっぱりその大塚英志が言うような実存を担保する為の理念形が重要なんじゃないかとも思われ、しかしそもそもそれを支える近代的な公共性がもう耐用年数切れだという認識からリアルmixi的な未来像が出てきた訳でさ‥‥‥‥んー、難し。

と、まあ本書でも何らかの結論っていうモノは当然ながら出ないんだけど、きっと小さなコミュニティが林立する社会では本書のような「ディス・コミュニケート」なやり取りももう見られなくなるように思われ、そういった意味では本書は貴重だし、そういうのがなくなるのが本当に良いのかちょっと考えさせられます。個人的にはお互い了解済みの和やか対談よりこういう闘争的な方が読んでて面白いし。


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2008年08月18日

SINGLETON。

『ひとりっ子』 グレッグ・イーガン ☆8.5

「多世界解釈」と生まれてくる我が子への愛を巡る表題作、数学的に絶対に存在しないはずの「彼方側」とのファースト・コンタクトを描いた数学SF「ルミナス」、イーガンが追求して止まないテーマであるアイデンティティを扱ったエクストリームな短編「ふたりの距離」など、本邦初訳2篇を含む7篇を収録した、ハヤカワ文庫のグレッグ・イーガン短編集第三弾です。

そもそもSF小説自体を他のジャンルに比べたらほとんど読んでないんだけど、しかしそんな貧弱な読書経験の中でもとても印象深かった作品で『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』っていうフィリップ・K・ディックの有名な作品があって(映画『ブレードランナー』の原作)、その概要は今ではほとんど覚えてないんだけど、その中に出てきた精神状態を好きにコントロールすることが出来る薬(っていうか装置?)が非常に記憶に残ってて、何が言いたいかというとここで露出してる命題がつまるところイーガンが長年アイデンティティ・モノで書き続けている問題なのではないかと。

それはごく簡単に言うと「自由意志」の問題というヤツで、例えば、気分が落ち込んだ時とか「これはイカン」つって楽しい方に持っていくよう精神状態を自由に操作出来るとする。でも、いざ「楽しい」へとスイッチを切り替えようとしても、落ち込んだ時にはそもそもそんな気分にすらなれなくて、だったら「楽しい」に切り替えようとするような前段階の気分に切り替えてから「楽しい」に切り替えれば良いんだけどそれも非常に自己欺瞞に感じられ、結局何もせずに落ち込んだままでいることが「本当」の自分なのではないか、ということになる。つまり、「楽しい」へとスイッチを切り替えるにはその時すでに「楽しく」ないといけないんだけど、「楽しい」時は「楽しい」のスイッチを押す必要がないっていうパラドックスが起こる訳です。で、イーガンの場合はこれが「愛」を巡る問題として現前してくるところがドラマチックであるとともに非常に辛い。

本短編集では「行動原理」、「真心」、「決断者」、「ふたりの距離」などがこのアイデンティティ問題を扱ってるんだけど、僕が個人的に一番唸ったのは「真心」で、簡単にあらすじを紹介すると、ふたりの愛し合っている男女がいて彼らはお互いにお互いを心底必要としててこれから先も共に人生を歩んでいこうと真剣に想い合っているカップル。でも、二人とも過去に昔の恋人との間で手痛い破局を経験していて、今現在お互いに対する愛が全く疑いの余地のないモノであると確信している一方、この先絶対にそれが変化しないとは断言できないでいる。(これ以降はネタバレします)そこで持ち出されるのがインプラントと呼ばれる人間の心理状態を操作できるナノマシンで、彼らが使用を検討しているのはその中でも「ロック」と呼ばれる、その時点の心理状態を一生涯固定するインプラント。恋人である彼女は「愛せるかどうか分からないけれども、私を生涯愛したいというあなたの意志が本物なんだったら、これを使うことに何の躊躇もいらないはず」という論理でもって「ロック」の使用を彼に促す。彼の方も全く嘘偽りなく彼女を愛していてずっと一緒にいたいと本気で想っているのだけど、インプラントの使用に何かしらの抵抗を感じている。

彼はその生理的な嫌悪感を一つ一つ論駁しながら自分の彼女に対する気持ちを精査し、「ロック」によって得られるモノが真に自分たちの求めているモノだと確信して、ついに「ロック」を使用することになる。一応、オチは濁しておくけど、鋭い人にはもうほとんどその後の展開は明らかでしょう。本編では「ロック」を使用してから15年後の現在がさらりと描かれて終わる。このラストは「ふたりの距離」とかも基本的に一緒で、上記の「自由意志のパラドックス」にブチ当たってアイロニックに幕を閉じる。これは凄い傑作と言えるかは分かんないけど、非常にリアルに辛かったです。「愛」を客観視するともうヤバいということは異性と付き合ったことのある人ならみんな実感し、体験しているんじゃないか。でも、それは考えまいとしてもどうにもならないんだよね‥‥。

ちなみに、本短編集はイーガン読んだことない人がいきなり読むのは結構大変だと思うので、手始めに『しあわせの理由』か『祈りの海』をオススメします。

ラベル:小説 SF 短編集
posted by ケニー at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月14日

WEDDING CRASHERS。

デヴィッド・ドブキン 『ウエディング・クラッシャーズ』(2005) ☆9.0

『シャンハイ・ナイト』のデヴィッド・ドブキンが監督を手掛けた、オーウェン・ウィルソン、ヴィンス・ヴォーン主演のコメディ・ラブ・ロマンス。ヒロイン役には『パニック・フライト』でテロリストと闘う主人公を演じてたレイチェル・マクアダムスで、その親父にクリストファー・ウォーケンが出演。本作も『パニック・フライト』同様、日本未公開だったらしくホントにもったいないですよ、こんな傑作を公開しないのは。MTVムービー・アワードでは作品賞を含む3部門を受賞しているらしいし、2005年だからオーウェン・ウィルソン繋がりで『ライフ・アクアティック』辺りと抱き合わせて公開すりゃ良かったのに、国内の配給会社は‥‥。と、世の中を憂いつつ、あらすじです。↓

離婚の仲裁人を務めるジョン(オーウェン・ウィルソン)とジェレミー(ヴィンス・ヴォーン)のコンビはビジネス・パートナーである一方、10年来の大親友でもある。そんな二人が連れ立って繰り出すのは、あろうことか他人の結婚式。多幸感で浮き足立つ列席者に紛れて、それぞれ目を付けた女を言葉巧みに落としていくという「結婚式荒らし」が彼らの共通の趣味だった。しかし、身分を偽り、一晩だけの関係を続けていくことにいつしか空しさを覚えたジョンはその胸の内をジェレミーに伝える。しかし、ジェレミーは「大丈夫だ!いつか若気の至りだったって笑える日がくるんだから、今を楽しめ!」とジョンを鼓舞するだけで、真面目に取り合ってくれない。

そんなある日、財務長官の娘が結婚するというニュースを知ったジェレミーはかつてないビッグイベントに参戦すべく、ジョンを誘う。最初は出席を渋るジョンだったが、親友であるジェレミーの熱に押されて式に潜入することを了解。ベンチャー投資を手掛ける兄弟と偽って無事に式に忍び込み、グロリアとクレアという長官の娘に狙いを定める二人。ジェレミーは早々にグロリア(アイラ・フィッシャー)をたらし込み、人気のないビーチでことに及ぶが「私、初めてだったのよ‥‥」と彼女に言われ、戦々恐々。ジェレミーは急いでここを立ち去ろうとジョンに持ち掛けるが、一方のジョンはもう一人の長官の娘・クレア(レイチェル・マクアダムス)に本気になってしまっていた‥‥。

ジョンはその不意に訪れた本物の感情に促され、「帰りたい」と駄々をこねるジェレミーを焚き付けて長官の別荘に招待されることに成功するんだけど、クレアにはすでに婚約者がいて、いろいろ画策するもジョンにはなかなか手が出せない。本作はコメディという面でもめちゃくちゃ冴えまくってて笑えるんだけど(ジェレミーが食卓の下でグロリアにシゴかれる所とか唐突なウィル・フェレルの登場シーンとか、挙げればキリがないぐらい)、次の瞬間にはジョンの片想いによる悲哀がぐぐぐーっと前景化してきて一気に切なくなったりして、その笑いと泣きの振れ幅をシームレスに繋いでいく演出がすごい。

僕のスゴく好きなシーンがあって、夜、眠れないジョンがクレアの部屋の前で立ち尽くし、何もできないまま自室に引き返すっていう場面。その時クレアもまだ起きていて、何か気配が伝わったのか彼女もまたジョンの後を追うように廊下に出る。で、なんとなく彼の部屋の前で耳をそばだてて、彼女も再び自室に戻っていくっていう、恋心を見事に映像化したようなシーンに泣きました。この「すれ違い」と「あと一歩」な感じがまさにラブストーリー。そこにはビビビッときました!みたいなTVドラマにおける運命的なモノはなくて、「フツーに人を好きになってしまった」っていう淡い感情だけがある。ん〜、素晴らしい。劇中曲もセンス良いし。オススメ。



予告。↓


posted by ケニー at 03:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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