2008年11月24日

遠くの空に。

行定勲 『遠くの空に消えた』(2007) ☆6.6

『きょうのできごと』や『世界の中心で、愛をさけぶ』の行定監督と、ショタコンにはたまらない神木隆之介くん主演のジュブナイルなファンタジーです。いろいろ文句言ってる割には、行定監督の作品をちょこちょこ観てしまうのは一体何でなんだろうか?ツンデレなのか?まあ、とりあえずあらすじ。↓

toku no-01.jpg麦畑の広がる緑豊かな村落、馬酔村(まよいむら)。村の住民たちは長いこと周囲の自然と共生してきたのだけど、突如、村の麦畑を潰して空港を建設するという案が浮上し、住民たちは反対運動に身を投じる。そんなある日、東京から村の学校に転校してくる少年、楠木亮介(神木隆之介)。彼の父、雄一郎(三浦友和)は空港建設の責任者として新たにこの地に着任することになったのだが、そんな関係もあって息子の亮介はガキ大将の公平(ささの友間)に目をつけられる。しかし、取っ組み合いの果てに何故だか打ち解け、親友となった二人は、ヒハルと名乗る不思議な少女(大後寿々花)に出会う。ヒハルは村の高台に望遠鏡を立て、「お父さんが嘘をつくはずがない」と死んだ父の言葉を信じて、不思議な呪文を唱えながらUFOが現れるのを願っている少女。そんな彼女に共感を抱いた亮介と公平もまた彼女と一緒に夜空を見つめ、奇跡が起こるのを今か今かと待ち続けるが、それは一向に到来する気配を見せず、そんな中、亮介の父・雄一郎が空港建設反対派の凶弾に倒れて‥‥。

と、まあ、おおよそこんな感じ。大人たちの事情によって振り回される子供たちがどうやってその現実に立ち向かい、乗り越えるかをファンタジックな童話調で描いた感じです。これはどことなく『スワロウテイル』っぽいなーと思ったら、行定監督は岩井俊二の『スワロウテイル』の助監督をやっていたみたいでなんとなく納得しました。でも、ああいうアングラな雰囲気は行定バージョンにはなくて(知恵おくれのトリックスター役で出てる長塚圭史はちょっとアングラ臭が)、良くも悪くもすっきりしていて取っ付きやすいんだけれど、それ故に目を見張るような葛藤やエモーション、人物描写は見当たらなくてフツーでした。フツーに感動作ですた(褒めてませんよ)。

んで、これはダメだよ気持ち悪いよっていう点を一つだけ書いておきたいんだけど、映画の冒頭で大人になった亮介役の柏原崇が空港に降り立ってスチュワーデスに昔話をするっていう新手のナンパ術か!?っていう場面から話が遡っていってメインのシークエンスが始まる、言わばタイタニック方式なんだけど、ラストもまたこのシーンに戻ってくるんですよ。で、仕事そっちのけでその話に聞き入っていたスチュワーデスの第一声が「なんか‥‥感動しちゃった‥‥」っていう‥‥‥‥自画自賛かよ‥‥。よくTVのラテ欄とかで生放送の番組なのに感動のフィナーレとか書いてるのがあるじゃないですか、なんかああいうのを思い出した。まさか劇中で「どう、この話、感動的でしょ?」って言われるとは思わなかった。行定、相変わらず無邪気だなー。



予告。↓

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2008年11月16日

in グラインドハウス、その2。

クエンティン・タランティーノ 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007) ☆8.8

ロドリゲスに引き続き、タランティーノ版のグラインドハウス映画『デス・プルーフ』です。「グラインドハウス」の説明は『プラネット・テラー』のレビューの方に書いたんで割愛しますね。公開当時の評価を見ると、こっちの『デスプル』の方が高評価を得ていたようなんだけど案の定、僕もこっちの方が俄然燃えた。タランティーノはホントにバカそうに見えて実際きっと単なる映画バカなんだけど、撮る映像が非常にスタイリッシュかつクールでカッコいい!浴びるように観てきた映画群がそのままちゃんと血肉化されていながら単純にオマージュとかパロディにならないっていう、やっぱりコイツはスゲーなと思った。という訳で、あらすじ。↓

death-01.jpgdeath-02.jpg冒頭、テキサス州のオースティン。朝の人気番組のDJを務めるジャングル・ジュリア(シドニー・タミーア・ポワチエ)はその夜、親友ら三人で町のバーへと繰り出した後、友人の別荘にて女友達だけで休暇を過ごそうとノリノリで車を走らせていた。が、ドクロマークをボンネットに施した黒塗りの対向車と正面衝突し、大クラッシュ。彼女たちを乗せた車は吹っ飛んでひしゃげ、同乗者はジュリア含めて全員が即死する。一方、黒塗りの車を運転していた男、その名もスタントマン・マイク(カート・ラッセル)は奇跡的に数カ所の骨折で命拾いをし、そして舞台は事件から14ヶ月が経ったある日のテネシー州へと移る。

映画の撮影が一段落し、時間の取れたスタント・ウーマンのゾーイ(ゾーイ・ベル)は仕事仲間の友人三人と合流し、これまた短い休暇を女たちだけで過ごそうと胸を躍らせているところ。ゾーイはこの休暇でどうしても果たしたい目的があって、それは何を隠そう、ちょうど売りに出されていた彼女の憧れの車、70年代型ダッジ・チャレンジャーに試乗して、スタントライド(ボンネットにしがみついての走行)を楽しむこと。スタント仲間のキム(トレイシー・トムズ)は「冗談じゃない」とゾーイを止めようとするが彼女の決意は固く、渋々了解してドライバーを任されるキム。待ってるように言われたものの同乗すると言って聞かないアビー(ロザリオ・ドーソン)を仕方なく乗せ、車は農村地帯を走り出すのだが、そこへ再びあのドクロマークの車が忍び寄ってきて‥‥。

(一応、ネタバレ注意)このカート・ラッセル扮するスタントマン・マイクという男はどうやら車を凶器にして、目をつけたビッチどもを殺すことに快感を覚えるというまさしくド変態で、最初の事故も実はコイツの仕業なのです。で、コイツもゾーイ同様スタントマンでドクロマークの車は「デス・プルーフ(耐死仕様)」に改造された愛車。この「耐死仕様」っていう言葉の響きがゾクゾクしてカッコいい。以降、迫真のカーチェイスが続いて冷や冷やもんなんですが、そういったアクションシーンもさることながら、僕がホレボレするのは人物を映した時なんかの各ショットのカッコ良さ。

例えば、女が駐車している車のボンネットに腰掛けて煙草を吹かすフルショットとか、膝ぐらいのちょっと低めのアングルで真正面から押さえてて、めちゃくちゃスタイリッシュ。そのままポスターとかに使えそうなカットがいっぱいあって、ちょっと『悪魔のいけにえ』の画面を想起させるぐらいカッコいい。オープニングの半裸の女が歩いていくのをそのまま背後から追っていくカメラとか。ダッシュボードに投げ出された足のカットとか。どことなく気怠くてエロティックな雰囲気を漂わせていてめちゃクールです。『パルプ・フィクション』とか思い出す。こういうのはロドリゲスにはないセンス。劇中にかかる曲もどれもカッコ良くてサントラ欲しー。ちょっと、いろいろ語りたいところだけど(クラッシュ場面で女たちの死に様を律儀に一個一個見せるとことか、カート・ラッセルのしょうもなさとか)あんまり長くなるとアレなんでこの辺で締めますけど、最後、カート・ラッセルが女たちにボコられて「THE END」の文字がデッカく出てエンドロールに繋がる流れとか、気持ち良過ぎ。タランティーノは常にカラッと爽快だなー。イイわー。



予告。↓


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in グラインドハウス、その1。

ロバート・ロドリゲス 『プラネット・テラー in グラインドハウス』(2007) ☆7.9

かつて60年代〜80年代にかけてアメリカで流行した、B級映画を2本立て3本立てで上映する場末の映画館の総称がいわゆる「グラインドハウス」。そこでは低予算のアクション映画や血みどろのスプラッター、革ジャンにバイクのスラッシャー・ムービーやセクシーなお姉ちゃんたちの裸ばっかりのモンド・ムービーやら、そういう下世話極まりない作品がひしめいていてそういった映画ばかり観て育ったクエンティン・タランティーノとロバート・ロドリゲスが現代にその精神を復活させようとして作ったのが、本作の『プラネット・テラー』とタランティーノの『デス・プルーフ』。

という訳で、とりあえず『プラネット・テラー』のあらすじから。↓

planet-01.jpg舞台はテキサスの田舎町。普段なら大した事件や事故も起こらないようなのんびりした町なのだが、その日は異様に救急患者が多く、町の病院はその対応に追われていた。患者の多くは何らかのウィルスに感染した模様で、皮膚が膿んでただれたような症状を呈し、刻一刻とその症状は体全体を蝕んでいく。一方で、ゴーゴーダンサー(ストリッパーのようなセクシーなダンサーのこと)に嫌気が差して店を後にしたチェリー(ローズ・マッゴーワン)は、突如、暴漢と化したかのように狂った住民連中に襲われ、右足を負傷してしまう。かつての恋人レイ(フレディ・ロドリゲス)に付き添われ、町の病院に運び込まれたチェリーは右足の切断を余儀なくされ、ショックを受ける。が、しかし、そうこうしてるうちに病院内の患者たちも症状の進行とともにケロイド状の狂人へと変化していき、病院を含めた町全体を巻き込んで「ゾンビ」な展開が幕を開けるのだった‥‥。

(一応、ネタバレ注意)あらすじの最後の方でつい書いてしまいましたが、つまりこれはロドリゲス版の『ゾンビ』で、わらわらと襲いかかってくるケロイドゾンビたちを撃退しつつ逃げるというお決まりの展開です。僕の印象だとロバート・ロドリゲスはキャラクターのビジュアルとかアメコミ調でカッコいいんだけど(『シン・シティ』もそういう意味では割と好き)、いかんせん絵作りがヘタというかあんまりセンスがない。今作でもチェリーに義足代わりのマシンガンを装着させるとか拳銃のように発射できる注射器とかそういう所はキッチュでナイスだけど、それ以外の部分ではいまいちノレない。ロメロとかロジャー・コーマンとか「グラインドハウス」な映画がタランティーノに負けないぐらい好きなんだろうなっていうのはスゴく伝わってくるものの、やっぱりこれはパロディとかオマージュとかの域を出ていない気がするんだなー。

一番気になったのが、中盤でフィルムが燃えたか切れたかするっていうアクシデントが挿入されて「一巻、紛失しました。申し訳ありません」みたいなテロップが出て、その後の展開がすっ飛ばされてしまうところ。かつての場末の劇場ではフィルムが焼けるとか紛失するとかそういうことがあったっていうのは映画の文化史的な本を読めばよく書いてあるけど、それを律儀に再現するっていうのはどうなんだろう?結局それってそういう「ジャンクなクズ映画」っていうジャンルが好きなだけで映画的な面白さとは全然違うような。なんていうか、これはロドリゲスの抱く映画愛が余り良くない方に作用してしまった感じで、ちょっと「う〜ん」って思いました。まあ、でも本人はコレがやりたかったんだろうから、しょうがないかー。



予告。↓


posted by ケニー at 05:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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