2008年08月05日

TRANSAMERICA。

ダンカン・タッカー 『トランスアメリカ』(2005) ☆8.5

監督のダンカン・タッカーはこれがデビュー作になる新人監督。タイトルの「トランス」は性同一性障害を意味する「トランスセクシャル(Transsexual)」から来てて、主人公のブリー(フェリシティ・ハフマン)は女性になろうとしている男性で、最後の性転換手術前に自分の過去と向き合うことになる。

幼い頃から自身の性別に違和感を持っていたブリーは、電話勧誘によるセールスやヒスパニック系のレストランでの接客業などで、性転換手術の為の費用をコツコツ貯めながら、L.A.で慎ましい生活を送っていた。ようやくあと一回の手術で完全に女性になれるというちょうどその頃、なぜかブリーの元へニューヨークの拘置所から電話が掛かってくる。用件は補導した17歳の少年の「父親」を探しているという内容で、その男の名は「スタンリー」。それはまぎれもなく今まさに捨て去ろうとしているブリーの男性時代の名前だったが、ブリーはそんなことあり得ないと過去を黙殺し、手術に臨もうとする。しかし、カウンセラーにその話題を漏らしたところそんな状態で手術を許可するわけにはいかない、認めてほしければその息子にちゃんと会うようにと命じられ、二週間後の手術の為にブリーは渋々とニューヨークに息子を訪ねるのだった‥‥。

息子のトビー(ケヴィン・ゼガーズ)は「男娼」として生活費を稼ぐような荒んだ生活をしていて、それを見たブリーは自分が父親だと言い出すことが出来ずに、教会から派遣されてきた者だと身分を偽る。この映画の上手いなーと思うところはそういったキリスト教的な世界観を暗示していたり、トビーが「男娼」というこれまた性転換的な行為で生活していたりっていう、そういうアメリカの歴史や文化をきっちりと踏まえている感じが窺えて、好印象。その後、二人は車でニューヨークからL.A.に戻る旅に出るんだけど、その途上で二人の車を盗むのがヒッピーの若い男だったり、足を失って途方に暮れてる二人を助けるのがネイティブ・アメリカンの子孫の男だったりして(ブリーも実はネイティブの血を引いている)、アメリカの歩んできた思想の変遷が随所に垣間見え、その歴史を辿り直していくような、まさにこれぞロード・ムービーといった感じ。

最終的にブリーはトビーを連れて、L.A.までの旅費を借りる為、性転換以来帰っていなかった実家を訪ねて、全てをカミングアウトする。ここでも、宗教的なモノが混在していて、母親エリザベス(フィオヌラ・フラナガン)が厳格なカトリックである一方で、温厚でどっち付かずな父親マレー(僕の大好きなバート・ヤング!)はユダヤ教を信仰していて、姉は現代的な無神論者。そして、帰ってきた息子は娘になってて、孫は男娼でお金を稼いではその金を聖書のページ間に挟んで持ってたりする実は信心深い少年だったりして、この家族の「るつぼ」はまさにアメリカの「るつぼ」になってて、ある意味で非常に理想的なアメリカの姿に感じられる。もちろん最初、エリザベスはブリーを悪魔のように扱うんだけど、トビーに父親だと打ち明けて激しく拒絶されて泣き崩れるブリーを、真っ先に抱きしめるのが母親のエリザベスっていうところに、にわかに救いが感じられます。

あらゆる「トランス」を許容できないアメリカはもはやアメリカじゃないと監督は言いたいんじゃないか、と僕はなんとなくそのように解釈しました。まあ、そのタブーのなさは功罪両面あるとは思うけれど‥‥。



予告。↓


posted by ケニー at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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