2008年08月18日

SINGLETON。

『ひとりっ子』 グレッグ・イーガン ☆8.5

「多世界解釈」と生まれてくる我が子への愛を巡る表題作、数学的に絶対に存在しないはずの「彼方側」とのファースト・コンタクトを描いた数学SF「ルミナス」、イーガンが追求して止まないテーマであるアイデンティティを扱ったエクストリームな短編「ふたりの距離」など、本邦初訳2篇を含む7篇を収録した、ハヤカワ文庫のグレッグ・イーガン短編集第三弾です。

そもそもSF小説自体を他のジャンルに比べたらほとんど読んでないんだけど、しかしそんな貧弱な読書経験の中でもとても印象深かった作品で『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』っていうフィリップ・K・ディックの有名な作品があって(映画『ブレードランナー』の原作)、その概要は今ではほとんど覚えてないんだけど、その中に出てきた精神状態を好きにコントロールすることが出来る薬(っていうか装置?)が非常に記憶に残ってて、何が言いたいかというとここで露出してる命題がつまるところイーガンが長年アイデンティティ・モノで書き続けている問題なのではないかと。

それはごく簡単に言うと「自由意志」の問題というヤツで、例えば、気分が落ち込んだ時とか「これはイカン」つって楽しい方に持っていくよう精神状態を自由に操作出来るとする。でも、いざ「楽しい」へとスイッチを切り替えようとしても、落ち込んだ時にはそもそもそんな気分にすらなれなくて、だったら「楽しい」に切り替えようとするような前段階の気分に切り替えてから「楽しい」に切り替えれば良いんだけどそれも非常に自己欺瞞に感じられ、結局何もせずに落ち込んだままでいることが「本当」の自分なのではないか、ということになる。つまり、「楽しい」へとスイッチを切り替えるにはその時すでに「楽しく」ないといけないんだけど、「楽しい」時は「楽しい」のスイッチを押す必要がないっていうパラドックスが起こる訳です。で、イーガンの場合はこれが「愛」を巡る問題として現前してくるところがドラマチックであるとともに非常に辛い。

本短編集では「行動原理」、「真心」、「決断者」、「ふたりの距離」などがこのアイデンティティ問題を扱ってるんだけど、僕が個人的に一番唸ったのは「真心」で、簡単にあらすじを紹介すると、ふたりの愛し合っている男女がいて彼らはお互いにお互いを心底必要としててこれから先も共に人生を歩んでいこうと真剣に想い合っているカップル。でも、二人とも過去に昔の恋人との間で手痛い破局を経験していて、今現在お互いに対する愛が全く疑いの余地のないモノであると確信している一方、この先絶対にそれが変化しないとは断言できないでいる。(これ以降はネタバレします)そこで持ち出されるのがインプラントと呼ばれる人間の心理状態を操作できるナノマシンで、彼らが使用を検討しているのはその中でも「ロック」と呼ばれる、その時点の心理状態を一生涯固定するインプラント。恋人である彼女は「愛せるかどうか分からないけれども、私を生涯愛したいというあなたの意志が本物なんだったら、これを使うことに何の躊躇もいらないはず」という論理でもって「ロック」の使用を彼に促す。彼の方も全く嘘偽りなく彼女を愛していてずっと一緒にいたいと本気で想っているのだけど、インプラントの使用に何かしらの抵抗を感じている。

彼はその生理的な嫌悪感を一つ一つ論駁しながら自分の彼女に対する気持ちを精査し、「ロック」によって得られるモノが真に自分たちの求めているモノだと確信して、ついに「ロック」を使用することになる。一応、オチは濁しておくけど、鋭い人にはもうほとんどその後の展開は明らかでしょう。本編では「ロック」を使用してから15年後の現在がさらりと描かれて終わる。このラストは「ふたりの距離」とかも基本的に一緒で、上記の「自由意志のパラドックス」にブチ当たってアイロニックに幕を閉じる。これは凄い傑作と言えるかは分かんないけど、非常にリアルに辛かったです。「愛」を客観視するともうヤバいということは異性と付き合ったことのある人ならみんな実感し、体験しているんじゃないか。でも、それは考えまいとしてもどうにもならないんだよね‥‥。

ちなみに、本短編集はイーガン読んだことない人がいきなり読むのは結構大変だと思うので、手始めに『しあわせの理由』か『祈りの海』をオススメします。

ラベル:小説 SF 短編集
posted by ケニー at 03:08| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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