2008年05月24日

パッチギ2‥‥。

井筒和幸 『パッチギ! LOVE&PEACE』(2007) ☆4.5

前作『パッチギ!』(2004)の世界観とテーマを引き継いで製作された続編。74年の東京に舞台は移され、在日朝鮮人家族の長男であるアンソンを井坂俊哉が、その妹キョンジャを中村ゆりがそれぞれ演じています。で、以下あらすじ。↓

アンソンには難病を患っている息子のチャンスという男の子がいて、その治療の為にも東京に引っ越してきたのだが一向に回復の兆しは見えず、一家は高額な治療費に喘いでいる。そんな時、バイト先の焼き肉屋で妹のキョンジャがとある芸能事務所の人間からスカウトされ、チャンスの治療代の為、そしてこのままくすぶっている自分の人生を変えたいと思ったキョンジャは事務所を訪れ、アイドルとしての道を踏み出すことに。徐々に芸能界の仕事も増え、軌道に乗り出したのも束の間、決まりかけた映画のヒロイン役を朝鮮人だからという理由で降ろされ、自分の境遇を呪うキョンジャ。そんな彼女の前に現れたのが人気俳優の野村健作(西島秀俊)という男で、その自然体で物腰の柔らかな態度にキョンジャは惹かれていき、ある晩一夜を共にする。しかし、そこでキョンジャから自分の親に会ってほしいと告げられた野村は態度を翻し、「冗談じゃない!朝鮮人と結婚なんかできない!」と拒絶され、ショックのあまり自暴自棄になった彼女は、映画のプロデューサー三浦の泊まるホテルの一室を訪れ、ヒロイン役を条件にその身を売るのだった‥‥。

一方で、ですね。兄貴は兄貴でなんか死んだ親父の古い知り合いであるらしい在日の婆さんに金塊の取引みたいな裏仕事を紹介されて、なんとか金を作ろうとするんだけど警官に見つかって遁走して、みたいな展開になってて、正直ちょっと意味分かんないですね。前作は「日本人と在日朝鮮人との間の叶わぬ恋」が主要なモチーフとしてあって、すごく分かりやすく芯の通った話だったんだけど、今回は一体何がしたいのかよく分からない。話の軸がどこにあるのか。終盤の舞台挨拶で、キョンジャが自分は朝鮮人だということをカミングアウトしてしまうシーンがあって、「朝鮮人への差別感情」が今作も主要なテーマだということは分かるんだけど、じゃあなんで難病の息子とか出てくるんだろう?まさか朝鮮人に生まれたが故に発症した病気っていう訳じゃないでしょ。そんなんだったらそれこそ差別だし。だから僕には、その設定が単に虐げられた人たちを演出する為に用意された悲劇だとしか思えない(現実に在日の人たちが虐げられていないっていうことじゃないですよ。念のため)。

映画の役を取る為にプロデューサーと寝るとかいかにも時代錯誤だし、随所で挿入されるアンソンの親父たちの戦時中のシーンとかも非常に扇情的で、プロデューサーの三浦が作ろうとしてる大政翼賛的な映画とどこが違うのか。どっちが真摯で勇敢な人間なのかっていうのを互いに比べっこしたって何の意味もないし、答えなんか出ないでしょ。どこの国にだって卑怯な人間やら心の貧しい人間はいるし、逆に、誠実で真摯な人間だっているはずで、それを日本人や朝鮮人っていう民族の違いで規定してしまってはそれこそ差別の素地を作ることになるんじゃないかな。本作で、在日朝鮮人の中に悪人が見当たらないっていうのを観ると、あからさまに善と悪が二つの共同体にそれぞれ担わされてて、そんな単純化しちゃっていいの?っていう感じ。それじゃ簡単に立場がひっくり返っちゃうよ(っていうことを描いてんのがフリッツ・ラングの諸作ですね。『M』とか『死刑執行人もまた死す』とか)。そいつが人非人なのはそいつ自身が人非人だからであって、日本人だからとか朝鮮人だからとかではない。そんなこと当たり前なんだけど、本作にはそういった意識はないようです。残念。



予告。↓


タグ:戦争 邦画
posted by ケニー at 09:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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