2008年12月07日

BLACK SNAKE MOAN。

クレイグ・ブリュワー 『ブラック・スネーク・モーン』(2006) ☆8.5

DIY精神に彩られた傑作『ハッスル&フロウ』のクレイグ・ブリュワー監督の二作目です。主演にサミュエル・L・ジャクソンとクリスティーナ・リッチ。前作はHIPHOPでしたが、今回はブルースが通奏低音として響いています。観賞後、なんとなく、トミーリー・ジョーンズの『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』を思い出しました。アメリカ南部にはこういう「自分のやり方でやるんだ」っていうある意味独善的な映画がよく似合います。『コックファイター』とかね。という感じで、あらすじを。↓

black snake-01.jpgblack snake-02.jpgblack snake-03.jpgアメリカ南部の田舎町。長年連れ添った妻に逃げられ、途方に暮れる元ブルース・ギタリストのラザルス(サミュエル・L・ジャクソン)。失意の中で一人孤独に農園を切り盛りするそんな初老の男の前に、ある日一人の女(クリスティーナ・リッチ)が現れる。農場の前、顔に青痣を浮かべ半裸姿で倒れていた女を見つけたラザルスは、彼女を自宅へ運び、介抱する。しかし、ある時、町でその女・レイが重度のセックス依存症だという噂を聞き、ラザルスはその信仰心ゆえに彼女を罪深き人生から脱却させようと思い立つのだが‥‥回復したレイが目の当たりにしたのは何故か自らの腰に巻かれたぶっとい鎖だったのである‥‥。

という訳で、レイはそのままラザルスに監禁されて、ラザルス独自の治療が施されることになります。とは言っても、自ずと想像されるような卑猥な陵辱シーンとかがてんこ盛りっていう感じでは全然なくて(こっちを期待してた男性ファンも多いはずですが)、レイがその欲望を克服できるまでの間、家からは出さず、ラザルスとともに共同生活を送るという、そういった治療です。劇の後半に明らかになってくるんですが、ラザルスとその妻の仲が上手くいかなくなったきっかけとして、彼女がラザルスに黙って妊娠中の子供を堕ろしたというエピソードがあって、つまり、これはラザルスにとってもある種の治療なんだ、と。以前、『ツォツィ』っていう黒人の少年を主人公にした映画をレビューしたけど(→コレですね)、これもあの構図に近い。ストリート・ギャングであるツォツィが偶然にも赤ん坊と暮らし始めることで、内面が変化していくという「異質な者同士の出会い」系(NHKの「一期一会」とか、ああいう感じ)。

実際、徐々にラザルスとレイがお爺ちゃんとその孫のような感じになっていくのが個人的に泣ける。冒頭では性格の悪いアバズレ以外の何者でもなかったクリスティーナ・リッチが(それはそれで嫌いじゃないですが)、後半ではフツーの少女みたいな感じになっていって、そういう何気ない幼い表情とかドキッとさせられる。映画においては、何気ない表情ほどその破壊力(?)はハンパない。っていうか、お前はクリスティーナ・リッチが好きなだけなんじゃないかという話もあるとか、ないとか‥‥。



予告。↓


タグ:洋画
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2008年11月24日

遠くの空に。

行定勲 『遠くの空に消えた』(2007) ☆6.6

『きょうのできごと』や『世界の中心で、愛をさけぶ』の行定監督と、ショタコンにはたまらない神木隆之介くん主演のジュブナイルなファンタジーです。いろいろ文句言ってる割には、行定監督の作品をちょこちょこ観てしまうのは一体何でなんだろうか?ツンデレなのか?まあ、とりあえずあらすじ。↓

toku no-01.jpg麦畑の広がる緑豊かな村落、馬酔村(まよいむら)。村の住民たちは長いこと周囲の自然と共生してきたのだけど、突如、村の麦畑を潰して空港を建設するという案が浮上し、住民たちは反対運動に身を投じる。そんなある日、東京から村の学校に転校してくる少年、楠木亮介(神木隆之介)。彼の父、雄一郎(三浦友和)は空港建設の責任者として新たにこの地に着任することになったのだが、そんな関係もあって息子の亮介はガキ大将の公平(ささの友間)に目をつけられる。しかし、取っ組み合いの果てに何故だか打ち解け、親友となった二人は、ヒハルと名乗る不思議な少女(大後寿々花)に出会う。ヒハルは村の高台に望遠鏡を立て、「お父さんが嘘をつくはずがない」と死んだ父の言葉を信じて、不思議な呪文を唱えながらUFOが現れるのを願っている少女。そんな彼女に共感を抱いた亮介と公平もまた彼女と一緒に夜空を見つめ、奇跡が起こるのを今か今かと待ち続けるが、それは一向に到来する気配を見せず、そんな中、亮介の父・雄一郎が空港建設反対派の凶弾に倒れて‥‥。

と、まあ、おおよそこんな感じ。大人たちの事情によって振り回される子供たちがどうやってその現実に立ち向かい、乗り越えるかをファンタジックな童話調で描いた感じです。これはどことなく『スワロウテイル』っぽいなーと思ったら、行定監督は岩井俊二の『スワロウテイル』の助監督をやっていたみたいでなんとなく納得しました。でも、ああいうアングラな雰囲気は行定バージョンにはなくて(知恵おくれのトリックスター役で出てる長塚圭史はちょっとアングラ臭が)、良くも悪くもすっきりしていて取っ付きやすいんだけれど、それ故に目を見張るような葛藤やエモーション、人物描写は見当たらなくてフツーでした。フツーに感動作ですた(褒めてませんよ)。

んで、これはダメだよ気持ち悪いよっていう点を一つだけ書いておきたいんだけど、映画の冒頭で大人になった亮介役の柏原崇が空港に降り立ってスチュワーデスに昔話をするっていう新手のナンパ術か!?っていう場面から話が遡っていってメインのシークエンスが始まる、言わばタイタニック方式なんだけど、ラストもまたこのシーンに戻ってくるんですよ。で、仕事そっちのけでその話に聞き入っていたスチュワーデスの第一声が「なんか‥‥感動しちゃった‥‥」っていう‥‥‥‥自画自賛かよ‥‥。よくTVのラテ欄とかで生放送の番組なのに感動のフィナーレとか書いてるのがあるじゃないですか、なんかああいうのを思い出した。まさか劇中で「どう、この話、感動的でしょ?」って言われるとは思わなかった。行定、相変わらず無邪気だなー。



予告。↓

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2008年11月16日

in グラインドハウス、その2。

クエンティン・タランティーノ 『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007) ☆8.8

ロドリゲスに引き続き、タランティーノ版のグラインドハウス映画『デス・プルーフ』です。「グラインドハウス」の説明は『プラネット・テラー』のレビューの方に書いたんで割愛しますね。公開当時の評価を見ると、こっちの『デスプル』の方が高評価を得ていたようなんだけど案の定、僕もこっちの方が俄然燃えた。タランティーノはホントにバカそうに見えて実際きっと単なる映画バカなんだけど、撮る映像が非常にスタイリッシュかつクールでカッコいい!浴びるように観てきた映画群がそのままちゃんと血肉化されていながら単純にオマージュとかパロディにならないっていう、やっぱりコイツはスゲーなと思った。という訳で、あらすじ。↓

death-01.jpgdeath-02.jpg冒頭、テキサス州のオースティン。朝の人気番組のDJを務めるジャングル・ジュリア(シドニー・タミーア・ポワチエ)はその夜、親友ら三人で町のバーへと繰り出した後、友人の別荘にて女友達だけで休暇を過ごそうとノリノリで車を走らせていた。が、ドクロマークをボンネットに施した黒塗りの対向車と正面衝突し、大クラッシュ。彼女たちを乗せた車は吹っ飛んでひしゃげ、同乗者はジュリア含めて全員が即死する。一方、黒塗りの車を運転していた男、その名もスタントマン・マイク(カート・ラッセル)は奇跡的に数カ所の骨折で命拾いをし、そして舞台は事件から14ヶ月が経ったある日のテネシー州へと移る。

映画の撮影が一段落し、時間の取れたスタント・ウーマンのゾーイ(ゾーイ・ベル)は仕事仲間の友人三人と合流し、これまた短い休暇を女たちだけで過ごそうと胸を躍らせているところ。ゾーイはこの休暇でどうしても果たしたい目的があって、それは何を隠そう、ちょうど売りに出されていた彼女の憧れの車、70年代型ダッジ・チャレンジャーに試乗して、スタントライド(ボンネットにしがみついての走行)を楽しむこと。スタント仲間のキム(トレイシー・トムズ)は「冗談じゃない」とゾーイを止めようとするが彼女の決意は固く、渋々了解してドライバーを任されるキム。待ってるように言われたものの同乗すると言って聞かないアビー(ロザリオ・ドーソン)を仕方なく乗せ、車は農村地帯を走り出すのだが、そこへ再びあのドクロマークの車が忍び寄ってきて‥‥。

(一応、ネタバレ注意)このカート・ラッセル扮するスタントマン・マイクという男はどうやら車を凶器にして、目をつけたビッチどもを殺すことに快感を覚えるというまさしくド変態で、最初の事故も実はコイツの仕業なのです。で、コイツもゾーイ同様スタントマンでドクロマークの車は「デス・プルーフ(耐死仕様)」に改造された愛車。この「耐死仕様」っていう言葉の響きがゾクゾクしてカッコいい。以降、迫真のカーチェイスが続いて冷や冷やもんなんですが、そういったアクションシーンもさることながら、僕がホレボレするのは人物を映した時なんかの各ショットのカッコ良さ。

例えば、女が駐車している車のボンネットに腰掛けて煙草を吹かすフルショットとか、膝ぐらいのちょっと低めのアングルで真正面から押さえてて、めちゃくちゃスタイリッシュ。そのままポスターとかに使えそうなカットがいっぱいあって、ちょっと『悪魔のいけにえ』の画面を想起させるぐらいカッコいい。オープニングの半裸の女が歩いていくのをそのまま背後から追っていくカメラとか。ダッシュボードに投げ出された足のカットとか。どことなく気怠くてエロティックな雰囲気を漂わせていてめちゃクールです。『パルプ・フィクション』とか思い出す。こういうのはロドリゲスにはないセンス。劇中にかかる曲もどれもカッコ良くてサントラ欲しー。ちょっと、いろいろ語りたいところだけど(クラッシュ場面で女たちの死に様を律儀に一個一個見せるとことか、カート・ラッセルのしょうもなさとか)あんまり長くなるとアレなんでこの辺で締めますけど、最後、カート・ラッセルが女たちにボコられて「THE END」の文字がデッカく出てエンドロールに繋がる流れとか、気持ち良過ぎ。タランティーノは常にカラッと爽快だなー。イイわー。



予告。↓


posted by ケニー at 07:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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